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仙台高等裁判所 昭和45年(う)388号 判決

被告人 小嶋正

主文

原判決を破棄する。

本件を仙台地方裁判所古川支部に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は弁護人半沢健次郎作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これをここに引用して次のとおり判断する。

控訴趣意第一、事実誤認および法令適用の誤りの主張について、

所論の要旨は、原判示第二の事実につき、被告車の事故直前における時速は原判決認定の如く五五粁もなく時速約五〇粁程度にすぎなかつたばかりでなく、かりに五五粁もあつたとしても先行車との車間距離を約二五米に保つたことは警視庁の定める基準に照らしても過失として咎められるべきではないのであつて、原判示第二の交通事故はひとえに先行車の違法な急停車と対向車の前方注視懈怠および避譲不適切に基因するというべきであるから、原判決にはこれらの点につき事実を誤認しかつ法令の適用を誤つた違法があり破棄を免かれないというのである。

よつて所論にかんがみ原判決を仔細に検討し本件記録を精査するに、原判決挙示の照応証拠によると、被告人が原判示第二の日時に大型貨物自動車を運転して青森県平賀町に向け国道四号線を北進し同県上北郡天間林村大字天間舘字道の上二一九の五番地先にさしかかつた頃幅員約六・五米のアスフアルト舗装直線平坦な車道のセンターラインに自車右側車輪がかかるぐらいの進路をとつて時速約五五粁で走行していたことが明らかで、右速度について被告人の供述するところは捜査段階以来原審公判を通じて終始かわるところのないことが認められるのであつて、所論主張の時速五〇粁の根拠として指摘する記録二二丁以下編綴の実況見分調書の記載は原判示第一の交通事故に関して作成されたもので原判示第二の本件交通事故には全く無関係であるから、時速が約五〇粁にすぎなかつたという所論は要するに軽率な思い違いというべく、採用の限りでない。

次に、所論は警視庁が予て行政指導の基準として定め昭和二六年五月一日から施行したところを挙示しこれに照らすと被告人が原判決認定の如くたとえ時速約五五粁でも約二五米の車間距離で十分でありこれが短かきに失した過失は存しない旨主張する。よつて按ずるに、右警視庁の指導基準は道路交通法第二六条所定の安全な車間距離保持義務における、先行車が急に停止したときでもこれに対する追突を避けることのできる必要な距離の一応の参考資料として凡その数字を掲げたものにすぎず、車両の種類、構造積載量制動装置の性能、タイヤの摩耗度、路面の勾配、舗装の有無、舗装資材の種類新旧もしくは乾燥湿潤の度合などにより異る摩擦係数の如何、さらに運転者の反応感覚の鋭鈍制動操作の技倆の巧拙などにより個々の具体的場合の安全な車間距離とはおのずから相違せざるをえないこと多言を要しないところではあるが、特段の事情のない限り通常妥当する基準として信頼されてしかるべきものであろう。とすれば、右基準が時速五五粁の場合には車間距離として二〇米以上あれば足りるとしているからには、被告人が本件の場合約二五米の車間距離を保持していたことを捉えてそれが短かきに失した過失であるとすることは特段の事情の認められない限りいえない筈である。しかるに、原判決はなんら右特段の事情として首肯するに足りるところを示さず被告車が時速約五五粁であつたことと車間距離が約二五米であつたことを前提としこれが短かきに失した点を過失として認定判示しているのであつて、すでにこの点において理由不備もしくは理由のくいちがいの違法の疑を抱かしめるものがあり、さらに記録を精査するに原判決の認定した被告車の右速度および先行車との右車間距離はいずれも被告人の記憶にもとづく供述および実況見分の際の指示説明のみを資料としてそのいうままに認定したものであることが明らかではあるが、それらの認定をくつがえし別異の認定を帰結するに十分な証拠もなく、前記特段の事情を推測させる程の資料も見出すことはできず、さらに、当審における事実取調の結果に徴しても同断であつて、畢竟、原判決の認定した前提事実たる被告車の速度および先行車との車間距離の認定に事実誤認の違法がないとすれば理由不備ないしくいちがいの違法もしくは法令適用の誤りの違法があるというのほかなく結局論旨は理由あるに帰し(最高裁判所昭和四三年(あ)第一九〇号業務上過失傷害事件昭和四四年三月二〇日第一小法廷判決、刑事裁判集第一七〇号八三七頁参照)そして原判示第二の事実と第一の事実は併合罪として一個の刑を課されているのであるから結局原判決は全部破棄を免かれないものといわざるをえない。

尤も、検察官は当審において原判示第二の事実につき予備的訴因として要旨「……時速約五五粁で北進中同一方向に先行する乗用自動車に追従することになつたが同車が減速し次第に車間距離が接近しはじめたのであるから前の車が急に停車してもそれに対応して急停車できるよう減速して追従し、前車の停車による事故を防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り減速することなく漫然と追従進行した過失により、右先行車が停止したのを認め危険を感じ急制動の措置を講じたもののさらに追突を避けるため右にハンドルを切つて道路右側部分に進出することを余儀なくされ……」た旨主張するのであるが、検察官の提出にかかる証拠と併せ考察すると、この予備的訴因は要するに車間距離約二五米に接近するまで速度を時速約五五粁以下に減速しなかつたという点を捉えて過失といつていることになるので、それは結局本位的訴因におけると同じ速度および車間距離を前提としつつ唯表現を裏返したにすぎず、従つて、前叙のとおり特段の事情のない限り妥当するとみるべき警視庁の指導基準によると車間距離が二〇米に接近するまでならば時速五五粁で追従してもよい筈であるから、前説示と同じく特段の事情のない以上予備的訴因にいうが如き過失はこれを認め難いといわざるをえないのである。

しかしながら、被告人は同人の感じによれば時速五五粁位の速度で先行車に追従中同人の感じにより約四〇米もあつたと思われる車間距離が漸次短くなつたように感じながら右時速のまま進行を続け、被告人の感じで約二五米ばかりに接近した時点で急制動操作にかかつたこと、急制動操作の際にクラツチを切るいとまもない程に度をうしなつていたことに徴し速度と車間距離の相関関係が直感的に先行車への追突を予感させる程のものであつたこと、果して知覚反応の空走距離若干のうえに長さ約一三米ばかりの滑走痕をアスフアルト路面に残して急遽ハンドルを右に切つて対向車線に逸出し先行車の右側において対向車と正面衝突し実況見分調書添付の写真に見られるような相当高度の破壊を結果してようやく停止するという経過を辿つたこと、以上の如き記録に現われた状況に徴すると、被告人が急制動操作をとつた時点における被告車の速度は時速五五粁を上廻る高速であつたのではないか、あるいは、先行車との車間距離が被告人の感じたところよりもさらに短かかつたのではないか、あるいはその両者であるかいずれにしても先行車への追突をさけるためには対向車線に逸出せざるをえないような追従の仕方に問題の存したことは疑うべくもない(ちなみに道路交通法第二六条第一項の解釈としてはたとえ先行車が同法第五三条第一項所定の停止の合図をしなかつたとしても第二六条第一項違反の成立になんらの消長を及ぼさないというべきでありまた先行車が急停止したときとはそれが制動機の制動力によつて停止した場合のみならずそれ以外の作用によつて異常な停止をした場合も含むものと解すべきである)ので、あるいは鑑定などにより過失の訴因構成の前提となるべき事実につき本位的および予備的各訴因に掲げられたところとは異るものを認定すべき余地があると思料される。

以上の次第で原判決には理由不備ないし理由のくいちがいの違法がありさらにまた判決に影響を及ぼすことが明らかである法令適用の誤りがあるとともに予備的訴因につきその成立を直ちに認めることもできないので、刑事訴訟法第三九七条、第三七八条第四号、第三八〇条により原判決を破棄し右につきさらに審理を尽させるため同法第四〇〇条本文により本件を仙台地方裁判所古川支部に差し戻すこととして主文のとおり判決する。

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